AFCチャンピオンズリーグ2007 決勝第2戦 浦和レッズvsセパハン


於:埼玉スタジアム2002
浦和レッズのみならず日本サッカー史上に新たな歴史を刻むべく迎えた大一番。
もちろんチケットは大争奪戦となり(心無い転売屋が主役ではあるが)、私は自由席を確保することができず最上段の指定席をどうにか取るのが精一杯であった。
まあ結局ここに至るまでACLの試合を一度も観戦できなかった私にこの日のゴール裏に潜り込む資格はなかったのだ、と思うことにしよう。
相変わらず過酷な日程での試合が続き、3日前に行われた川崎戦でもボロボロになりながらようやく勝ち点1をもぎ取ったような状態。
この決勝戦に臨むにあたって一抹の不安を抱かずにはいられなかった。
アウェーの第1戦で1点を奪って引き分け、一応は有利な状況でホームゲームを迎えたわけだが、気休め程度にしかならない。
なんとか、勝ってほしい―
ここまでくればそう祈るよりほかなかった。


しかし、試合が始まるとそうした不安は消し飛んでしまった。
レッズは、強かった。
ここ最近スカスカになりがちだった中盤の守備がしっかりと効いている。
特に、長谷部誠がすっかり輝きを取り戻してしまっていたのには驚かされた。
そして田中マルクス闘莉王の戦列復帰も、あまりにも大きいプラス要素であった。
「いける」という明るい希望が、私の心に流れ込んでくる。
前半21分、それは現実のものとして目の前に展開された。
ポンテのパスが相手DFに当たって方向が変わり、永井雄一郎の足元に吸い込まれる。
迷いなくゴール前に侵入し、その右足から勢いよく放たれたシュートは、キーパーの指先をかすめてゴール上部に突き刺さった。
スタジアムは59,000人の歓喜に包まれた。


それでも、1点を取られればたちまち五分に持ち込まれてしまう状況である。
どこか一つの歯車が狂えば悪夢のシナリオに引きずり込まれても少しもおかしくない、そういう試合だ。
しかし、先制点を奪ってからもレッズの守備陣は落ち着き払っていた。
一体彼らのどこにこんな力が残っているのか。
これが強者のメンタリティというものか。
これが、Jリーグ発足当時本当にどうしようもなかったあの浦和レッズなのだろうか。


後半に入っても、レッズの堅実なサッカーは崩れることがなかった。
スタミナが落ちる時間帯でも、最後の勝負で踏ん張って攻撃をはね返す術を彼らは身に付けている。
そして後半25分には、いよいよ勝負を決定付ける追加点を奪った。
永井の強烈なシュートをキーパーがはね返した先に顔を出していたのは、阿部勇樹。頭で押し込んだ。


残り時間も冷静に試合を運び、ついにタイムアップのホイッスルが鳴り響いた。
終わってみれば、完勝で掴んだアジア王座。
そして、この瞬間をやや温度の低めな高台の座席で迎えたことは、やっぱり少々歯がゆかった。
表彰式、そして場内を一周するイレブンの姿を眺めていても、なんだかふわふわと夢の世界にいるようで、実感が湧かなかった。
そんな中でも、サポーターから受け取った「Asian King」のフラッグを実にうれしそうに掲げながら闊歩していた阿部勇樹の姿が強く印象に残っている。
大きな栄冠を手にするために様々な軋轢をくぐり抜けて浦和に籍を移した男の屈託のない笑顔が、やけに輝いて見えた。


 AFCチャンピオンズリーグ2007
優勝 浦和レッドダイヤモンズ
おめでとう!


スタジアムを出る頃には10時近くなっていた。
時間的に余裕はないが浦和駅界隈に立ち寄って優勝の雰囲気を味わって帰ることにした。
駅前には大勢の警官が配備され物々しい雰囲気。
居酒屋「力」の前はいつもの大騒ぎである。
いい加減終電が近づいていた私は小走りに喧騒をすり抜けつつそこここで酒をあおりながら、駅に向かおうとしていた。
すると奇遇にも学校の先輩たちとばったり出会った。
改めての乾杯もそこそこに、私はなんとか終電に間に合わせて家路に着いた。