2006Jリーグディビジョン1 第34節 浦和レッズvsガンバ大阪


於:埼玉スタジアム2002
泣いても笑っても今日、全てが決まる。
積年の悲願に向け、文字通りの最終決戦。
家を出てまず、スタジアムでの暇つぶし用にゲームを買うことにする。
かなり迷った挙句買ったのがこれ↓

MOTHER 1+2

MOTHER 1+2

一応名作と言われているのでやってみようかと。
電車の中で早速スタート。
セーブポイントが限られているのでちょっとした空き時間にやるには向かないかも…
そこを考えずRPGなんぞ買ってしまった私は愚か。
まあそんなこんなでスネークやムカデなどをちまちまやっつけつつスタジアムへと向かう。


浦和美園駅からスタジアムへ向かう遊歩道は、サポーターを鼓舞する張り紙や横断幕やフラッグで満たされていた。
スタジアムに着いたのは開場1時間前くらい?
まずマッチデープログラムを買って、それからファミリーマートがこの日のために発売した「応援ありがとう弁当」を買う。
腹減っていたので、入場列についてすぐ食べる。
冷たい…
なんとかしてスタジアム店頭であっためる工夫してもらえないだろうか、ファミマさん…


食事を終え、マザーやりながら時間を過ごして、入場。
さすがに人でいっぱいのゴール裏。
かなりの間ウロウロしたが、運よくなんともいい頃合いの場所に空席が見つかった。
試合開始時間が徐々に近づき、選手がピッチに姿を見せると、ゴール裏も悲壮な決意を背負った戦闘態勢へと次第に移行していった。
打ち振られる無数の赤い旗。
コールリーダーがメガホンを構えて、煽った。
前年の王者ガンバを倒して、奪い取る―
そして運命のキックオフ。


最低でも3点が必要なガンバはしかし、それほど無鉄砲にガツガツ来るという印象でもなかった。
反対にレッズはワシントンの惜しいヘディングシュートがあるなど意欲的に攻め、まずはじっくり組み合って…という始まり方であったように思う。
前半20分が過ぎ、レッズとしては避けたかった「あまりに早い時間帯での失点」は免れた、そんな安堵が生まれていた頃だったかもしれない。
播戸の突破から折り返したボールを、マグノアウベスが後ろ足でゴールへ流し込む。
必死にすがりつこうとしたキーパー山岸をあざ笑うかのように、ガンバの先制点が決まった。


スタジアムが凍りついた。
6万人が恐れる最悪のシナリオ、その第1ステップが目の前で刻まれたのである。
しかしそのわずか6分後、重苦しい方向へ傾いたベクトルをまさに180度転換してみせたのが、ロブソン・ポンテであった。
ワシントンからのパスに反応すると、スピードに乗って右サイドを切り裂く。
シジクレイを技ありの「裏街道」でかわすと、狙いすましたグラウンダーのシュートがゴール左隅に。
同点。
悪夢から目覚めたかのようにスタジアムが沸きかえった。


「このままいけば。」
そう思った。
「このままいけば、1−1で終了して優勝」
ではなかった。
「この勢いのままいけば、相手を叩き潰せるのではないか」
そう思ったのだ。
それほどの威力が、ポンテの一発にはあった。
前半終了間際。
鈴木啓太から、ペナルティエリア内、ゴール右方向に流れたポンテにパスが通った。
先ほどの轍を踏むまじと、今度は二人のDFが応対する。
ポンテが鋭いフェイントを繰り出すと、この二人の間にほんのわずかな隙間が生じた。
次の瞬間には、そこを球足の速いセンタリングがすり抜けていった。
ボールの行く先に、DFと競り合いながらわずかに一歩先んじたのはやはりこの男、ワシントンであった。
2-1。
願ってもない時間帯での逆転劇。
栄冠をほぼ手中に納めた喜びに、サポーターの目が輝いていた。


ハーフタイム中もスタジアムを包む異様な興奮。
そして、カウントダウンともいえる後半が始まった。
さすがに浦和がリスクを冒して攻め込むシーンはなくなった。
9分、ガンバは病気で戦列を離れていた遠藤を投入し、いよいよスクランブル態勢。
しかし14分、ガンバの息の根を止めるゴールが決まる。
アレックスの右からの大きく速いクロスをファーサイド闘莉王が落とし、ゴール前フリーのワシントンが頭でゴール右に押し込んだ。
意地を見せるガンバは、33分に山口のヘッドで1点差に迫る。


優勝は決まった。しかしここまでくれば勝って決めたい。
ゴール裏の熱が冷めることはなかった。
14年間の思いをコールに乗せて放ち続ける。
ロスタイムは2分。両隣の、名前も知らない仲間たちが涙をぬぐっているのがわかった。
そしてついに、待ちわびた瞬間―


試合終了のホイッスルが鳴った。


私はその場にひざまずき、声を上げて泣いた。
優勝の瞬間にはそうしてやろうと、あらかじめ決めていた。
号泣しながら、至上のカタルシスを味わっていた。


私が東京・小金井から埼玉に移り住んだのは6歳のときである。
以来すっかり埼玉に根付き、進学も地元志向で、当時の浦和市内(現さいたま市)の大学まで進んだ。
その在学中にJリーグが発足。
浦和レッズが私の中に浸透していくのは至極自然なことであった。
しかしレッズが本当に苦しんだ時期を、私は傍観者としてしか過ごしていなかった。


以前にも書いたかもしれないが、私がコンスタントにスタジアムでサッカーを見るようになったきっかけは2002年のW杯である。
悔し涙を流し、怒りの拳を振り上げながら、それでも浦和レッズを支え続けた偉大な先達に追随することしか出来ないのが今となっては歯がゆいが、そんなまだまだ新参・にわかの部類に属する私にとっても強烈なインパクトを持つキーポイントが2004年のJリーグチャンピオンシップでの敗退である。
相手は横浜Fマリノス
ホーム&アウェイの2試合で双方相譲らず、PK戦にもつれ込んだ末の敗北…
あの屈辱があったからこそ、今日の優勝を心から喜べる。
だが、私の嗚咽などはすぐに、勝者を讃える「浦和レッズ」コールにかき消された。
私は立ち上がり、その中に加わった。
真っ赤に染まったスタンドが見守る中、表彰式が行われ、選手たちを讃える声と勝利の凱歌が薄暗くなるまでスタジアムにこだましていた。


スタジアムを引き上げた後は浦和駅界隈に繰り出し、指定席組の大学の先輩たちと祝勝会を行った。
幹事のYさんの動き出しが遅かったため、たまたま空いていたから押さえたというあまり似つかわしくない小洒落たイタリアンレストランが会場であったが、店内はやはり勝利の美酒に酔うレッズサポーターで埋まっていた。
レストランを出て浦和駅周辺をうろつくとあちこちでドンチャン騒ぎが繰り広げられていて、その狂乱ぶりはこれまでのカップ戦制覇等のときとはやはり比べ物にならないほどであった。
私はところどころで騒ぎに加わりながら駅へと戻り、家路についた。


2006Jリーグディビジョン1
優勝 浦和レッズ
おめでとう!!!